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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)12088号 判決 1980年10月31日

原告 張金土

右訴訟代理人弁護士 元林義治

被告 国

右代表者法務大臣 奥野誠亮

右指定代理人 石川達紘

<ほか二名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、五〇万七、四五六円及びこれに対する昭和五四年三月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、もと日本国籍を有していた台湾島民であった。

2  被告は、明治三二年、台湾銀行法(明治三〇年法律第三八号)に基づき株式会社台湾銀行(以下「台湾銀行」という。)を設立し、台湾における通貨として強制通用力のある台湾銀行券の発行及び日本国及び台湾における預金業務をなさしめていた。

3  原告は、昭和二〇年一〇月一一日当時、台湾銀行(嘉積出張所取扱)に特別当座預金として九、〇〇〇円四一銭の債権を有していた。

4  しかるに、日本国政府は、昭和二〇年一〇月二六日、連合国最高指令官の指示に基づき台湾銀行を閉鎖機関に指定し、昭和三二年四月一日台湾銀行を消滅せしめ、原告の台湾銀行に対する前記預金債権の払戻請求を不能ならしめた。従って、被告は、これによって原告の蒙った後記損害を賠償ないし補償すべき責任がある。

5  原告は、台湾銀行に対する特別当座預金債権九、〇〇〇円四一銭のうち一、〇〇〇円を現在の貨幣価値に換算した額である五〇万七、四五六円を損害金ないし補償金として請求する。

すなわち、貨幣価値の変動の指数は卸売物価指数によって算定するのが公正妥当な方法と考えられるところ、日本銀行統計局発行の昭和五二年経済統計年報所載の卸売物価指数の推移をみると、昭和九年から同一一年までの指標を一とすれば、昭和二〇年の指標は三・五〇二、昭和五二年の指標は六七〇・八であるから、昭和二〇年と昭和五二年とを対比すると、卸売物価の上昇率は一九一・四九三倍となるのであって、原告が昭和二〇年一〇月一一日当時台湾銀行に対して有していた特別当座預金債権九、〇〇〇円四一銭のうち一、〇〇〇円は、昭和五二年においては一九万一、四九三円の実質的価値を有するものである。そして、元金の履行期を終戦の年である昭和二〇年の年末とすると、その後三三年間の年五分の民事法定利率による利息は元本額の一・六五倍となるので、元金一九万一、四九三円に対する三三年間の遅延損害金の額は三一万五、九六三円となる。

6  よって、原告は被告に対し、右元金及び遅延損害金を合計した五〇万七、四五六円とこれに対する本件請求の趣旨ならびに原因訂正の申立書が被告に送達された日の翌日である昭和五四年三月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払とを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、台湾銀行が台湾銀行法(明治三〇年法律第三八号)に基づき明治三二年に設立され、銀行券を発行していたこと、同銀行券が台湾においていわゆる通貨として使用されていたこと及び台湾銀行が預金業務を行っていたことは認める、被告国が強制通用力のある台湾銀行券の発行をさせていたことは否認する。

3  同3の事実は知らない。

4  同4の事実のうち、日本国政府が、昭和二〇年一〇月二六日、連合国最高指令官の指示に基づき台湾銀行を閉鎖機関に指定したこと、台湾銀行が昭和三二年四月一日消滅した(但し、日本国内にある財産以外の財産に対する関係においては、なお存続するものとみなされている。)ことは認める、その余の点は否認する。

5  同5の主張は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  原告が台湾銀行に対し、その主張する如き預金債権を有していたか否かを判断するに先だち、台湾銀行の設立及び特殊清算の経緯等につき検討することとする。

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  台湾銀行の設立の経緯等

(一)  設立

台湾銀行は台湾銀行法(明治三〇年法律第三八号)に基づき明治三二年に設立された(この点は当事者間に争いがない。)。

(二)  役員の任命

台湾銀行の頭取・副頭取は、台湾銀行設立当時一〇〇株以上を保有する株主の中から政府が任命することとされていた(台湾銀行法一三条)。

(三)  日本国政府の出資

日本国政府は、台湾銀行設立当時、同行に対して出資していなかった(出資義務を定めた規定も存しなかった。)が、台湾銀行補助法(明治三二年法律第三五号)の制定により一〇〇万円を限度として株式を引受けることとなった(同法一条)。

(四)  銀行券の発行

台湾銀行は、明治三二年法律第三四号によって台湾銀行法が一部改正された際、銀行券を発行し得ることとされた(台湾銀行が銀行券を発行していたこと、これが台湾においていわゆる通貨として使用されていたことは当事者間に争いがない。)。しかし、台湾銀行法には、強制通用力について定めた日本銀行法(昭和一七年法律第六七号)二九条二項の如き規定はなく、銀行券には原告の主張する如き強制通用力は認められていなかった。また、日本国が右銀行券の発行に関し責任を負ったり保証したりする旨の規定は存せず、台湾銀行自身が金貨・地金銀・日本銀行券をもって発券保証をなすこととされていた。

2  台湾銀行の特殊清算の経緯

(一)  連合国最高指令官は、昭和二〇年九月三〇日、日本国政府に対し、「外地竝外国銀行及戦時特別金融機関ノ閉鎖ニ関スル覚書」を発した。日本国政府は、同覚書及びその別紙一の四号により台湾銀行の日本における一切の支店及び代理店を即時閉鎖し、その事務の再開を禁じなければならないこととなった。

(二)  連合国最高指令官の右指示により、昭和二〇年一〇月二六日、大蔵・外務・内務・司法省令第一号(昭和二〇年勅令第五四二号)に基く「外地銀行、外国銀行及特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル省令」が公布施行され、台湾銀行は、閉鎖機関に指定され、日本国内における本店、支店その他の営業所及び代理店の業務を行うことが禁止された。

(三)  台湾銀行については、このようにして特殊整理(後に「特殊清算」と変更された。)が開始され、昭和二二年三月一〇日閉鎖機関令(勅令第七四号)の公布にともない、同令九条二項但書の規定に基づき日本銀行が特殊整理人に選任されたが、昭和二三年一一月一二日、大蔵省告示第三八九号によって日本銀行が特殊整理人を解任されたため、閉鎖機関令九条三項により、同日「閉鎖機関整理委員会」が特殊清算人に任命された。しかし、昭和二七年三月三一日、政令第七三号「閉鎖機関整理委員会解散令」が公布され、同日、同委員会は解散した。これにともない、同年四月一日、石橋良吉が特殊清算人に就任し、同年一一月一四日、右石橋に代わり、上山英三が就任した。

(四)  その後、昭和二八年八月一日法律第一三三号「閉鎖機関令の一部を改正する法律」によって、同令一九条の三ないし二七が設けられ、閉鎖機関である台湾銀行の発行済株式総数の一〇分の一以上の株式を保有する株主は、新会社を設立することを特殊清算人に申し立てることができることとなった(同令一九条の三)。

(五)  右規定を受けて、台湾銀行については、昭和三二年四月一日、その新会社として「日本貿易信用株式会社」(昭和四九年四月一日に「株式会社日貿信」と商号変更)が設立され、台湾銀行の特殊清算は終了した。

(六)  以上の如き経緯をもって株式会社日貿信が設立され、閉鎖機関令一九条の一四によると、右会社が設立されたときをもって台湾銀行の日本国内における権利義務は右会社に移転したこととなった。

(七)  なお、閉鎖機関令による特殊清算は、台湾銀行の日本国内にある財産を清算の対象としていたものであり、従って、この特殊清算が終了しても日本国内にある財産以外の財産に対する関係においては、台湾銀行はなお存続するものとみなされることとなっている(昭和二五年一二月二六日政令第三六九号第九条)。

三  ところで、原告の主張する被告国の損害賠償責任ないし補償責任の法的根拠は明確を欠くが、要するに、日本国政府が台湾銀行を閉鎖機関に指定し、同行を清算結了させたことが違法であるという点にあるようである。

しかしながら、右閉鎖機関の指定及び台湾銀行の清算結了は、前記認定のとおり、台湾銀行の日本国内にある財産を対象としたものであって、本件の如き日本国内にある財産以外の財産を対象としたものではなく、台湾銀行は、この関係においては、なお存続するものとみなされているのであるから、原告のこの点に関する主張は的外れなものといわなければならない。

なお、被告国が台湾銀行の債務を承継ないし保証、あるいは補償するという趣旨の法上の規定は全く存しないのであるから、仮に原告が台湾銀行に対してその主張する如き預金債権を有していたとしても、被告には何らその支払義務はないというべきである。

四  よって、原告の被告に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林豊)

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